2012年 美和子が聞く

武周のお講さま 9月


当番 おてら

午後7時からおつとめ  お茶  法話2席

今月は途中からのお参りで、お説教の半分も聞くことが出来ませんでしたが、
住職の「(ただ手を合わしてとなえるだけの)演技のお念仏は出来ても、
心の底から『なむあみだぶつ』とは、なかなか言えない」
という言葉が、とても印象に残りました。

私は西雲寺で暮らし始めてから何年経っても、恥ずかしくて、
「なむあみだぶつ」と言うことが出来ませんでした。
周りの方々が、口々に「なまんだ〜ぶつ、なまんだ〜ぶつ」と
声に出している中で、毎回とても居心地が悪かったことを覚えています。

しかし、三年前、私の父親が亡くなる前に、、
「なむあみだぶつにおまかせしますって、いつも言ってるんや」
と言いながら、手を合わす姿を見たことがきっかけで、
声に出すことに抵抗がなくなりました。
お参りしている方々がみんな、
お念仏をとなえながら亡くなっていかれた方の
後ろ姿を思いながら「なまんだ〜ぶつ」と言っていたのかと、
やっと実感することが出来たからです。

父の死後、一日も欠かさず「なんまんだ〜ぶつ」と、
朝のお参りを続けているのですが、
それがもしかしたら「演技のお念仏」・・・!?

たしかに、最近は声に出すのもすっかり慣れて、
声を出している自分に満足して、心は置き去りの時もあるなぁと、
私のおぞい(悪い)心の奥底をのぞき込まれたような、
なんとも気まずい思いで聞きました。