古川はるこ写真展

      「西雲寺のさくら」


       (本堂に掲示されている説明文を転載いたします)

西雲寺には、古いしだれ桜があります。
数年前まで、この桜には、枝を支える支柱も根を守る柵も添えられていませんでした。
桜の寿命が心配になって「このままで大丈夫なのですか」と尋ねた私に、
住職は「桜が折れたり倒れたりするのは良くないことでしょうか」と言われました。
ずっと昔、おじいさんやおばあさんが生まれるもっと前から
この木の下にはたくさんの人が訪れて、それぞれの時を過ごしてきたのです。
おしゃべりをしたりお弁当を食べたり、みんなで遊ぶこともあればお葬式もありました。
ここは、そういう庭でした。

ある日、桜に長生きしてほしいと思う人達が、支柱と柵をつけました。
訪れる人の多くは、桜を傷めないように柵の中に入りませんが、
ためらいなく柵を越え、年老いた桜に触れる人もいます。
どの人も、この木を愛し敬っていることは同じです。

看護師のわたしは、この桜と、柵や支柱の関係が「看護」と似ているように思いました。
生命を守るとは、生命を大切にするとはどういうことなのか、
そんなことを考えながら、ずっと桜を見ていると、この庭に訪れるたくさんの人に会いました。
おじいさんやおばあさんが生まれるもっと前から、人々がここで続けてきたように
この木の下でそれぞれの時を過ごしていました。
 それは、一つ一つの枝に集い咲いた花が、季節の巡りと共に散り実り
そしてまた次の春、それぞれの枝に集い花が咲く、その繰り返しと似ていました。

秋の報恩講でお堂を飾る五色の仏旗は
大きな川も小さな川も、きれいな川も汚れた川も、どんな川もみんな
仏というおおきな海に注ぎひとつになるのだという意味だそうです。
桜や人々や、その他の小さな生命や私自身もすべて、仏という大きな海の巡りの一部。
仏旗は、つかの間の出会いの時に共に写した記念写真のように、私は思いました。

そして、この庭に咲く桜の数と同じくらいたくさんの人を、この木の下で撮りたいと思いました。
今日、ご覧いただいた写真は、その始まりです。

いつかあなたとこの木の下で出会えたなら、写真を撮らせて下さい。
一つ一つの記念写真は花咲くさくらの枝です。
あなたと、今あなたのそばにいる人は、同じ枝に咲いた花です。