2013年 美和子が聞く

武周のお講さま 3月


当番 えぐろさん

午後2時からおつとめ  お茶  法話2席

お御堂の修復工事が進んでいます。
二人の職人さんが連日、早朝から日暮れまでお御堂にこもって作業をされています。
今は下地を何回も塗り重ねる行程だそうで、
この部分は最終的に金箔の下に隠れて見えなくなるそうです。
誰も知ることのないものを、毎日丁寧にして下さっていることに頭が下がるという話から
今月のお説教が始まりました。

3月もお葬式が続きました。
私たちは普段、生きているのが当たり前だと感じています。
明日が来るのが当たり前だと感じているから、「死ぬ」ことが恐ろしい。
でも、本当にそうだろうかという問いかけから、
昔のご門主のお手紙、「御勧章」の中の、
「人の命ははかなく・・・」で始まる一文を引用して、
当たり前だと思っていることが、実はとても有りがたいことだと指摘されました。
当たり前だと思っていたことが、ありがたいと思えたとき、
そう思わせてくれたものが「仏のはたらき」なんだと、話はつづきました。

ありがたいことに、私はお寺に暮らしているので、
人の死を、わりと近くに感じることが出来ます。
武周で暮らし始めてもうすぐ15年ですが、本当に多くの方を見送ってきました。
普段は忘れていても、生きていることが特別なことなんだと、
納骨のたびに思い出すことが出来ます。
普段は何でも当たり前で、業にまみれた暮らしをしていますが、
亡くなられた方の生きざまや、残されたご家族を思うとき、
心が洗われるような不思議な感覚になります。
これが「仏のはたらき」なら、なるほどなぁという感じです。

先日、亡くなられた方が、実は私のこのコーナーを愛読して下さっていたと聞きました。
私のつたない文章を、楽しみにして下さっていたのかと思うと、
報恩講や永代経など年に数回しかお会いしないのに、
会うたびに親しげに話しかけて下さった顔が思い出されて、悲しいやら、寂しいやら。
しかし、ご門主の言葉をお借りするなら、これもまさに「時節到来」。
悲しんでいる私もいつか亡くなる日が来るのだと思うと、
今を丁寧に生きなければと、身が引き締まる思いです。
私を温かく見守って下さる皆さん、本当にありがとうございます。