2013年 美和子が聞く

武周のお講さま 10月


当番 おてら

午後7時からおつとめ  お茶  法話2席

私たちは大切な家族を失ったとき、
その深い悲しみを、どう受け入れて生きていけばいいのでしょうか?

初七日、二七日、三七日・・・と、時間が過ぎていっても、
のこされたご家族の悲しみは全く薄れることなく、
やり場のない気持ちを抱えたまま過ごされています。

「こんな時、あなたなら、どんな言葉をかけますか?」
という問いかけから、今月のお説教は始まりました。

そして、昔のご門主のお手紙、「御勧章」を引用しながら、
いつか必ず亡くなる私たちが、満足して生きていく道を考えてみました。

何よりも大切なのは、普段の暮らし、日常の生活の中で、
前を歩く人たちが、それぞれの悲しみと、
どう向き合い、抱えたまま生きていらっしゃるのか、
その後ろ姿を私たちが、いつも、いつも、どう見ているかではないかと指摘されました。

また、逆の立場で言えば、私たちが死んだあと、
のこされた家族がその悲しみを抱えたまま生きていく方法は、
私たちが、私たちの悲しみとどう向き合ってきたか、
悲しみを抱えたまま生きる辛さに直面したときに、なにを頼りにしてきたか、
その後ろ姿を、後に続く人たちに見せることが出来ているかだと指摘されました。

信心は、信心によって救われていった人を通してしか受け取れないと話は続きました。

同じように家族を亡くして、どん底の中でも生きている人がいること、
その方達の後ろ姿を、普段から他人事としてではなく、
同じ道を歩く仲間の姿だと受け止めて、感じることが大切だと話は続きました。

深い悲しみを癒す言葉は全く思い付きませんが、
悲しみの中身は一人一人違っても、真っ暗な道を共に歩いていく仲間が、
確かにいることを、どうか、感じて欲しいと思います。