2014年 美和子が聞く

武周のお講さま 8月


当番 じならいさん

午後7時からおつとめ  お茶  法話2席

今年の夏もいろんなことがありました。

広島の集中豪雨は今も大変な状態が続いてます。
ニュースでその様子が伝えられると、
こんな時、仏法はどう働くのかと考えさせられます。

お浄土をどうとらえるか。
死んだ後の世界なのか、生きている間に行ける所なのかという問題は
若い僧侶の間でもしきりに話題になるそうです。

でも、お浄土が仮に死後の世界だとしたら、
自分自身はまだ生きている(死んでいない)のに、
お浄土についていろいろと語って下さった親鸞聖人は、
「うそつき」になってしまいます。

「ここはやはり、親鸞聖人のお言葉を探してみましょう」と、
正信偈の一文を引用しました。

『 証知生死即涅槃 』
(私たちが暮らしているシャバのまま、救われることは間違いありません)

どうすれば?
それはこの文の一つ前にヒントがあると続きました。

そこには

『 惑染凡夫信心発 』
(惑いに染まる私たちが信心をおこせば・・・)

と書いてあります。

お浄土は確かにあると信じることが出来れば、
身体はシャバ(現実)の世界にいながら、心は浄土に住まわせてもらう、
そんなことが出来るんだそうです。

お浄土というとピンとこないかもしれませんが、
お浄土を「光」だと考えるとどうでしょう。
いろんな方のうしろ姿を通して感じることの出来る、あの「光」です。

光を感じたとき、現状は全く変わってないのに、
ポッと心が温かくなる時ってありますよね。
あの瞬間が「お浄土」なのかな〜と思いながら聞きました。

残念ながらこの光、自分で感じようと思っても無理なんです。
だから、「癒し」とか「プラス思考」とは全く意味が違うみたいです。

お説教を聞いていると、「光」に敏感になるというか、
自分で光ることが出来ないことを確認できるというか、
上手く表現できませんが、
とにかく、なんでもすぐ忘れてしまう私たちが、
シャバにいながらお浄土に参らせていただくためには
聞き続けるしかないんだなぁと思いました。