2014年 美和子が聞く

武周のお講さま 10月


当番 こかんざさん

午後7時からおつとめ  お茶  法話2席

先立たれた人を思うとき、
必ずしも暖かい心が湧いてくるとはかぎりません。。
時には、思い出したくないほど苦々しい気持ちが湧いてくる時もあります。

今月のお講さまは、こんな私たちを、
「鯉のぼり」に例えて進められました。

「鯉のぼり」は自分の力で泳ぐことが出来ません。
風のない日は、ただぶら〜んと垂れ下がっているだけです。
しかし、ひとたび風が吹けば、それはそれは生き生きと泳ぎます。

「鯉のぼり」は身体に吹き込んでくる風を選ぶことが出来ないので、
それが、どんなにつらくて、悲しい風でも、
ただ受け入れて泳ぐしかありません。

正信偈の中に「貪愛瞋憎(とんあいしんぞう)」という言葉が出て来ます。
私たちはみんな、生きているうちは、
愛憎など心の中に湧いてくるいろんな感情に振り回されています。
その様子はまるで風に吹かれる「鯉のぼり」のようです。
私たちは心から湧いてくるものを、ただ受け入れていきていくしかない、
全く無力な存在なのです。

それでは何の希望もない、絶望的な感じがしますが、
全く無力で頼りない私たちが、日常の暮らしの中で、
何に向かって口を開けるかで違ってくるのでないかと、話は続きました。
先人の愛から吹いてくる風に向かって口を開けて、
愛の風で身体をふくらますことによって、
初めて振り回されないで生きられると。

他人のいろんな思いや行動が、
その人にたまたま吹いてきた「風」の仕業だと思うと、
ちょっと見る目が変わるかも・・・と思いながら聞きました。
吹いてくる「風」に振り回されて暮らしているのは「私」ですけどね。

理屈では分かっても、振り回されないのはムズカシイ…