福井市武周町 西雲寺さいうんじ 真宗佛光寺派 なんまんだぶつとしだれ桜のお寺です 

 美和子が聞くお講さま 8月

8月28日

当番 てがさん


今月のお講さまは、ご家族を亡くされたことで、
お寺とのご縁がうまれた、あるご家族の話を例にあげながら、
目には見えないけど、たしかに存在する「大切なもの」(ご本願)
についてすすめられました。

親鸞聖人の正信偈に
如来所以興出世 唯説弥陀本願海  
(お釈迦さまが、わざわざ私たちの世に出てきてくださったのは、
『本願海』を説いて下さるためだ)
と書かれています。

浄土真宗にとって、この「本願海(ご本願)」はとても大切なのですが、
空気と同じで目に見えません。
しかし、ご本願は、たしかに存在し、
それは前を歩く先人がたの後ろ姿を通して感じることが出来るといいます。

大切な人が亡くなってしまったとき、
特に初めてそんな立場になったとき、
どうか西雲寺のことを思い出してください。

「死」から逃れられず、大切な人を亡くされて、悲しみのどん底に落ちてしまったとき、
ひとりでは途方に暮れてしまいますが、私たちには、真宗門徒の仲間がいます。

この苦しみを、どうすればいいのか。
そして、亡くなられた方と、どう向き合って生きていけばいいのか。
答えを求めて、一緒に歩いていきましょう。

亡くなられた方々の、なつかしい後ろ姿の中に、ご本願の光が見えたとき、
今はもう会えない方々との、新しいつながりが生まれると信じて。

私達は目に見えないものの存在を、意識するのがとても苦手です。
間違いなくそこにあるのに、「ある」と自信を持って信じることが出来ません。

だから、「死」がとてもこわいです。
自分が死んでしまったら、この世からいなくなってしまったらどうなるのか。
大切な人が死んでしまったら、見えなくなってしまったどうするのか。

大切な人が亡くなってしまったとき、私たちの心には、いろんな感情が渦巻きます。
悲しみ、寂しさ、心細さ、空虚感、後悔、そして何故かちょっとだけ安堵とか・・・
言葉ではうまく表現できない感情が津波のように押し寄せて、ただ、戸惑うばかりです。

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