福井市武周町 西雲寺さいうんじ 真宗佛光寺派 なんまんだぶつとしだれ桜のお寺です 

被災地を訪れました その1

3月9日

今年も被災地を訪れるご縁に恵まれました。
殿下被災者受入委員会の福島ツアーには同行できませんでしたが、
全国各地のお寺の代表者とご一緒させていただきました。

強行日程なので空路、仙台へ。
これは仙台空港の南側、岩沼市や亘理町の今の様子です。
見えているのは阿武隈川の河口です。
ここにあったフジパン工場で撮影された津波の映像はこちら


今度は仙台空港の北側、名取市の今の様子です。
名取川上空から撮影された津波の映像はこちら
広浦と呼ばれる湖沼が見えますが、そこが今回訪れた閖上(ゆりあげ)地区です。
その奥、写真右上付近が、多くの犠牲者を出した仙台市若林区になります。


閖上地区の看板。何より右上の濁流の写真に目が惹きつけられました。
冬の日本海を彷彿とさせるこの勢い、
これが陸上でのことだったのです。


この丘(日和山・ひよりやま)は津波で水没し、この松の木に登って一晩を明かした方がいらっしゃったそうです。
その方がおっしゃるには、一晩の間に「本当にいろんなものを見た」と。


遺構として残されている建物。


手つかずの更地の真ん中に、ぽつんと生花が。
花の新しさに、これを供えた人の心を感じて、おもわず目頭が熱くなりました。
5年経っても、きっと昨日のことのように思い続けておられるんでしょう。


女川町にある原子力PRセンターを訪れました。
女川原発は最も多くの犠牲者を出した石巻市に立地していますが、福島のような事故はまったく起きず、
機器が正常に作動して、想定通り冷温停止したそうです。


若い女性がはつらつと、自信たっぷりに原発の安全性をPRしてました。
それを聞くと、幾重にも施された安全対策が素晴らしいもののように思えます。
しかし同時に、たかがお湯を沸かすのに、なぜここまでしなければいけないのか、そう思いました。
幾重にも施さなければならない、それがかえって不審です。
まして、福島第一原発が、人間の知恵に限界があることを証明しました。
加えて、使用済みの燃料すら捨てる場所がない、トイレのない建物であるとは説明されませんでした。


夕暮れがせまり、ゆっくり回ることができませんでしたが、石巻市も訪れました。
日本製紙石巻工場は、その復興までのドラマが本になって出版されています。
石ノ森萬画館も、石巻の復興のシンボル的存在です。
焼けこげた校舎が映像でよく流れた門脇小学校の近くに、称法寺というお寺があります。


お寺の後ろの日和山には津波でありとあらゆるものが流れ着き、一帯は地獄絵図だったといいます。
現在、お寺の横には災害復興住宅が建てられているところでした。
ただ、お寺は5年前のままの姿でした。
東日本大震災は、現在進行形で僕の胸を強く押しつぶすのでした。


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