福井市武周町 西雲寺さいうんじ 真宗佛光寺派 なんまんだぶつとしだれ桜のお寺です 

被災地を訪れました(その2) ・ 追悼法要

3月10日

被災地を訪れること二日目、この日は仙台から南相馬まで最短経路をとらず、
放射線が風に乗って飛んだ下をわざと走りながら南下していきました。

まずは仙台市内。ショッピングモールの屋上駐車場が見えますが、この辺りまで津波が押し寄せて来たそうです。
大都市仙台の中心部まで津波が到達したことを、まざまざと実感しました。


仙台から福島市内に入り、川俣町から飯舘村へと進んでいきました。
ここは震災以来5年間、村全体が避難しているところです。誰一人住んでいません。
ところどころに見えるのは除染に励む作業員の姿だけです。
キレイに除染された農地を歩いていたのは、人ではなく猿でした。


除染作業中の現場にでくわしました。


いたるところに除染の廃棄物を入れたフレコンバックが野積みされています。
目に見えなかった放射能が、こうして目に見える形になって、初めて脅威を覚えます。



真宗大谷派の南相馬別院にお参りさせていただき、現場の生の声を聞かせていただきました。
奥に見える白い箱は、震災で亡くなった方のお骨です。
お話しくださった現地の住職さんは、復興というかけ声がストレスだとおっしゃいました。
不意打ちを食らったように心に刺さりました。
全体主義の気配もすると。
復興復興といっても出来ない人もいる…取り残される人もたくさんいる…
弱者、母子家庭、年配の方…ここに僧侶の役割もあるし、決して見過ごせないことだと。
まだまだこれからが本番だとお話くださいました。
国はもっと住民一人一人に面と向かいあってほしいともおっしゃいました。


帰りは新幹線で京都まで。
便利を追求した経済優先の大きな流れに、僕も乗せてもらったわけです。
輪番さんは、こうもおっしゃいました。
「大切なのは、諦めること(放り出すという意味ではなく、何が本当かを明らかにするという意味)。
 大切なのは、がんばらないこと(我を張らないという意味)。
 我を主張すればするほど、正義を全面に出すほど、孤独を生み出していってしまう。
 ただ、ひとつひとつ出来ることを尽くしていきたい」と。


3月12日(土)西雲寺にて追悼法要を行いました。




震災から5年と1ヶ月。
終戦からは70年。
未だに心の傷を抱えながら生きている方が大勢いらっしゃいます。
心の傷は、いつまでも鮮明なんですね。

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