福井市武周町 西雲寺さいうんじ 真宗佛光寺派 なんまんだぶつとしだれ桜のお寺です 

 美和子が聞くお講さま 2月

2月28日

当番 かみならやさん


今月のお講さまは、イマドキのお参り事情を中心に進められました。

武周で暮らしていると、
法事などの仏事をつとめることは当たり前のことだと受け止められていますが、
核家族や、都会暮らしの中で育った方の中には、
真宗門徒でありながら、なぜ、法事をつとめるのか、
分からない方がたくさんいらっしゃるそうです。
だから、お葬式も、家族葬どころか、
お葬式をせずに直接火葬場へ向かう直葬を堂々と選んだりします。
住職は、そんな方に会うたび、何故必要なのか、繰り返し話をするそうですが、
受け入れてもらうのは、なかなか難しいそうです。

なぜ、分からないのか、理由は単純明快!!

信心が染みこんでいないのです。

私には、彼らの気持ちはよく分かります。
私も、核家族の都会育ちですから。
私の実家には仏壇がなかったので、福井に来て最初の頃は、
手をあわせることでさえ、不慣れで、なんとなく恥ずかしかったのを覚えています。

この日、お御堂に、祖父母に連れられて小学生の男の子が参っていました。
大人の真似をして、正座したり、手をあわせたりしていました。
彼がお参りの意味を分かっているかは分かりませんが、
分かっていなくても参る、これが大切なのです、

信心とは、理屈で理解するものではありません。
普段の暮らしの中で染みこんでいくものです。
子どものころから、大人たちがお仏壇と向き合う姿を見せておくことは、
とっても大切なことだと話は続きました。
小さい頃から、お仏壇のある暮らしに浸っていれば、生活の中の一部として、
本人は気がつかなくても、心に染みこんでいくのだそうです。
今は、訳がわからなくても、
将来、懐かしい人たちのうしろ姿を思いながら、
自然と手が合わさる日が来る、
そうやって浄土真宗は伝わってきたんだと話は続きました。

私たち、今を生きる人たちは、うしろを歩いてくる者たちに、
うしろ姿をしっかり見せなくてはいけません。
彼らは、私たちの背中を見て育つのですから。

なにも知らなかった私が、お寺での暮らしの中で、
みなさんのうしろすがたを見ながら育てられたように。

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