福井市武周町 西雲寺さいうんじ 真宗佛光寺派 なんまんだぶつとしだれ桜のお寺です 

 美和子が聞くお講さま 4月

4月28日

当番 かみやしきさん


皆さんは「臨床宗教師」という資格をご存知ですか?

「臨床宗教師」とは、医療などの現場で、宗教的な立場から活動をされている方たちのことです。
今回のお講さまは、住職が本山の講演で聞いてきた医療現場の実態と
見直されつつある宗教との関係について進められました。

歴史を振り返ると、ずっと昔は医療と宗教は一つだったそうです。
それが約百年前、明治政府によってバラバラにされて現在に至るそうで、
その影響で本来、人生の一部であるはずの「死」に対するとらえ方が変わってしまったといいます。
「死」は私達の暮らしからどんどん切り離され、あたかも敗北のように捉えられています。
医療現場では「死」に直面した人たちが苦しみ、それを支えるスタッフも大変なのだそうです。

こうして毎月聴聞を続けていても、なかなか信心が染みこまないのが私たちですから、
突然、目の前に「死」を突きつけられれば、パニックになりますよね。
生きることしか考えないで暮らしてきたのですから、
その暮らしが消えてしまうと思うと、それはとても恐ろしいことでしょう。

私たちは「死」から逃げることはできません。
最先端医療を受けても、先延ばしになるだけで、全員、いつか必ず死ぬのです。

300年前のご門主のお手紙、ご勧章(ごかんしょう)に、こんな事が書いてあります。

「定められたいのちを変えることは、仏の仕事ではありません。
なぜなら、お釈迦さまも往生なさったじゃないですか。
みんな嘆き悲しんで、助けてくれと言ったけど、生涯をとじられた。
親鸞聖人も亡くなられたけど、日ごろの暮らしに満足なさっていたから、
死をいただくことができたのです。
衣を着ている者は、伝えて下さい。
みなさんは、いただいてください。
みんなで、お参りして、往生の道を探して下さい。」

死ぬのは私だって怖いです。家族を失うのはとても悲しいです。
しかし、絶対に受け入れなくてはいけないことなら、目を背けたくないと、思います。
みなさんと一緒になら、出来る気がするのです。
いつかまた、宗教が当たり前になって、
「臨床宗教師」がいなくても大丈夫な世の中になればいいなと思いながら聞きました。

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