福井市武周町 西雲寺さいうんじ 真宗佛光寺派 なんまんだぶつとしだれ桜のお寺です 

 美和子が聞くお講さま 6月

6月28日

当番 げんべあらやさん


4月に起きた九州地方の地震では、各地で甚大な被害を受け、今も苦しんでおられる方がたくさんいらっしゃいます。
西雲寺と同じ仏光寺派のお寺も被災されました。
住職は6月に、震源地の益城町にあるお寺を訪問してきました。
今月のお講さまは、住職が熊本で感じたことを中心にすすめられました。

みなさんは「ものは考えよう」とか「プラス思考」という言葉を聞いたことがありますか?
うまくいかない時などに、気持ちの整理をつけるためによく言われることです。
お説教を聞いている方から「信心とかよりもプラス思考でいいんじゃないですか」と言われたこともありますが、何が違うんでしょう。

住職は、プラス思考はあくまでも自力なので、自分でどうにかできることならそれでいいかもしれんけど、限界があると指摘しました。
今回の地震も、その限界を超えた事態だったのです。

震災直後、被災された方々はとても優しかったそうです。
皆がお互いをいたわり、温かい空気に満たされていたそうです。
でも、それは長く続かなかったと、益城町のご住職がおっしゃった。
それは、他人と比べ始めたからだとおっしゃたそうです。

私たちはいろんなものをひっつけて生きています。お金とか健康とか。
もともとは何にもないところに命を頂いて存在してるに過ぎないにもかかわらず。
元々ゼロだった時にはなかった妬みや欲などは、その引っ付いたものから湧いてくる感情です。
被災者が震災直後、着の身着のままで逃げ込んだ避難所では、みんな何も持たず、みんながゼロだった。
だからこそ助け合えたのです。
でも、家に戻れる人戻れない人、補助金がもらえる人もらえない人など、引っ付けてるものの違いが浮き彫りになると、
温かい感情もあっけなく消え去ってします。
とっても冷たくて、怖くて、悲しいです。

これが、私たち人間の姿だとしたら、自分の努力、考え方でどうにかしようとするプラス思考なんて考え方が、どれほど脆いかは明らかです。
人間の本性は変えられない。変えられないと認められないから、何回でも私の本性を教えてもらわなくてはいけません。

能発一念喜愛心(よく一念、喜愛心を発すれば)
不断煩悩得涅槃(煩悩を断ぜずして、涅槃を得)
悲しみに気がついたら、先人のうしろすがたにお訪ねしましょうと、住職はお説教のたびにおっしゃいます。
前を歩く人たちが照らしてくれる道を探りながら、一緒に歩いて行こうと誘ってくれています。

遠い、熊本での出来事を聞いているようですが、
これは全て、私のことを言っているのだと思います。認めたくないけど。
普段は忘れている私の本当の姿を教えてもらうために聞法するんだなぁと思いながら聞きました。
すぐ、忘れちゃうから、ずっと聞き続けなくちゃいけないんだなぁ、きっと。

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