9月28日
当番 たかしさん
今月のお講さまは、最近亡くなられた方々との思い出をご縁にすすめられました。
ガンなどの病気が見つかった方が、
いよいよ病気が進行してご自分の寿命を実感されたとき、
それまでは、何げなく関わってきた仏法に出遇って、
信心に目覚めるということがありますが、
そんな方を見ていると住職は「育てられてるなぁ」と思うそうです。
親の後ろ姿を思い出しながら、毎日のおつとめを続けておられる方も、
その方が頑張っているように見えるかもしれないけど、
本当は「そのように育ててもらった」のだそうです。
私たちは目には見えないものに育てられて生きていると話はつづきました。
それは無数に存在し、目に見えないほどささやかに、
私たちの周りに存在しているのだそうです。
私たちはその存在を仏さまと呼び、大切にしようとしているのですが、
日々の暮らしの中にうもれてしまって、なかなか気づけません。
お仏壇を参っていても、正面の阿弥陀様はなんとなく立派な感じがするけど、
実は本当に尊いのは、阿弥陀様のうしろに描かれた無数に伸びる光のほうで、
親鸞聖人も、その無数のはたらきのよって育てられてたという話は、
私にとってはとても斬新で興味深かったです。
浄土真宗をひらかれた親鸞聖人は、とてもすごい人で、
聖人の遺された言葉を今でもとても大切にしているのに、
親鸞聖人がすごいのではなく、聖人を育てたはたらきが素晴らしいなんて!!
しかも、同じはたらきが今も無数に存在し、
まさに今、私たちも育てられているとつづく住職の話を聞いていると、
頑張って暮らしていると思ってる自分の自信が、
ほんのちょっとだけ疑わしく思えました。