福井市武周町 西雲寺さいうんじ 真宗佛光寺派 なんまんだぶつとしだれ桜のお寺です 

被災地を訪れました 島原編

6月25~26日

佛光寺派の友人のお寺で法話する機会をいただき、長崎県島原市を訪ねました。
翌日には、今から25年前(1991年)に起こった雲仙普賢岳の災害現場を案内していただきました。
噴火口から流れてきた火砕流が、家々を押しつぶしながら有明海まで流れ込み、
また、予期せぬ熱風によってマスコミの方々が亡くなり、学校が火災に遭ったそうです。








しかし一番の驚きは、ちょうど200年前、さらに大きな地震があったと知ったことでした。
単純ではありますが、死者の数を調べますと、25年前は43名、200年前には1万5千人だったといいます。
1万5千人! 知らなかった…驚きました。

関東大震災は10万人と言われます。
その次は、東日本大震災の2万人でしょうか。
東北では約100年前にも「明治三陸地震」が起き、2万人が亡くなっています。
その次というと、
100年前、濃尾地震の7300人、
21年前、阪神淡路の6500人、
そして68年前、福井地震の3800人という数字ですから、
1万5千人という死者数から、その災害の大きさに驚きました。

甚大さの原因は、津波だったそうです。
ん?あの湖のような有明海で津波??
と思いきや、島原側の山が崩れ、大量の土砂が一気に有明海へと流れ込んだのです。
そして、肥後(熊本)や肥前(佐賀・長崎)を巻き込みながら、津波が何度も往復したそうです。
そのため、200年前の災害は「島原大変・肥後迷惑」という呼び名まで付けられていました。


翌日は熊本地震の被災地を訪れたのですが、
熊本も過去には大きな被害に遭っていたのだと、よい勉強になりました。

そういえば、地元・武周にも、500年前の天正大地震で山が崩れ、
土砂が川をせき止めて、村がひとつ水に沈み、武周ヶ池ができた、
そういう言い伝えが残されています。

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