2月28日
当番 どうめさん
今月のお講さまは、正信偈の中の親鸞聖人の
証歓喜地生安楽
という言葉をご縁にすすめられました。
仏になるためにのぼる階段は簡単にのぼることができないので、
一番上までのぼって仏になるのは、とても無理だと思ってしまいますが、
その階段の1段目をのぼることが出来れば、
もう、頂上までいったのと同じだというのです。
とても重要な意味があるこの1段目のことを「歓喜地」と呼ぶそうです。
1段目がのぼれれば同じ方法で2段目も3段目ものぼっていけばいいのですから、
もっともな話です。
大切なのは、「どうやってのぼったのか」だと話は続きました。
のぼりかたのヒントは、聞法の中にあるのだろうなぁと思いながら聞いていましたが、
どうやらこの「歓喜地」という言葉、
のぼれたことを喜んでいるという意味ではなく、
なにかに喜んでいるからのぼれた場所という意味のようです。