美和子が聞く
武周のお講さま
8月



夜7時過ぎからおつとめ  お茶・お菓子  法話1席  仏教讃歌


今回は、法事で寺を空けていた住職に代わって、
本山の研修から一週間ぶりに帰ってきた一哉氏の法話でした。
話の中心は「聞法」についてです。
京都での様子を交えながら、自分にとっての聞法とは、その必要性についてなど、
30分の間に、盛りだくさんの内容でした。
聞法は誰からも強制されるものではなく、
逆に言えば自分の意思でしか聞くことが出来ないところが大きなポイントだと思います。
自ら足を運んで法の水の中にドップリと漬かろうという行為の中に、
濁ってよく見えなかった自分の姿が見えるときがあるのだと思います。

私自身も武周に来るまでは、聞法など全く縁のない所にいましたので、
正直なところ、それを受け入れるまでに何年もかかりました。
それでも立場上聞法の席にいなければならず、右から左へと聞き流していた中に、
心を揺さぶられるような法話と出会う経験をしました。
その一つ一つは本当に些細な事ですが、
心のわだかまりの泡をひとつずつ潰していくには十分な力があります。
全く聞く耳がなかった私が、聞法のご縁を楽しみにするようになったのですから、
頑固な私を知る友が聞いたら、どんなに驚くことでしょう。
だからといって生まれ変わった様に清らかな人間にはなっていない所も、
これまた聞法が大事なことの大きな理由だと思います。
私たちと同じように日々にごった世界で生きる布教師さんの話を聞き、
悲しみを共有するところから、理解し合う心が芽生え、喜びが生まれるかもしれません。

護城 美和子





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