永代経がつとまりました
7月11日

日中(午前10時)  逮夜(午後2時)  初夜(午後7時)

法座といいますと、
あの方の法話を聴きたいと勇んでお参りすることも、あるにはありますが、
いつもそうだとは胸を張れません。
気が進まないなあと思うことが、よくあります。
でも、久しぶりに世間話がしたいから参ろう、
親しい人が参るから付き合いで参ろう、
近い人が亡くなったから参ろう、
新しいトイレが見たいから参ろう?
その他、いろいろな縁にもよおされながら法座へ出かけます。

しかし、それ以前に、
念仏が大事だと教えてもらい、育ててもらったからこそ、
法座へ出かけようかという心も開き起こされるのでしょう。
法なんか聴かなくても自分の足で立てるという慢心をひっくり返され、
真面目にやればやるほど自分は世を濁すと教えられたことが、
念仏によって思い起こされます。
師、故人、友人、いろんなご縁に導かれる、そのことが、
昔から「ほとけさん」と伝えられてきた働きだと教えられます。
永代に渡って、僕たちは働きかけられているのですね。
その働きかけを大事にいただく、受け取る、それが永代経だと思います。

ところが、常識では、故人を永代に渡って供養して差し上げると言いますから、
真宗門徒は「もの知らず」だと馬鹿にされてきたのもうなずけます。
しかしおそらく、その罵声を甘んじて受けて来られた歴史があるのではないでしょうか。
僕もまた、その歴史に入れていただこうと思います。

親鸞という人は、「信順を因とし、疑謗を縁として」とおっしゃいます。
僕は、この言葉にずいぶん励まされました。
普通なら、疑ったら駄目だと怒られるでしょうからね。
僕は疑う心ばかりでしたから、なおさらです。
仏法を大事だと思うことと、仏法はマユツバじゃないかと思うことと、
両方をご縁にして、仏法って何かってことを聞いて欲しい、
そんなおこころを感じます。
疑う心や謗る心もまた大事な縁にしてくれと働きかけられたら、
こっちはまいってしまいますね・・




たたきゴボウの音かと思ったら、ピーナッツを砕いておられました。




納骨堂。わけへだてなく、お骨が納められる場所です。



9時半頃、バスが次々と到着します。



早朝4時集合のご苦労が思われます。



5品プラス豆の粉のおつゆ。みなさんからいただいた野菜が基本です。



帳場の方々。



「ほとけ」とは「ほどけ」であると、繰り返しおっしゃいます。



7月に入ってから涼しい日が続き、扇風機は不要でした。



みなさん熱心に聴聞して下さいます。



久しぶりにお会いする方もたくさん



3つの部屋に分かれて、お斎を召し上がっていただきます。



今日は小雨模様で、大鍋などを外に干せません。



お帰りの頃には、雨も小止みになりました。



法要の30〜40分前に梵鐘を鳴らしていただきます。



提灯に火を入れて、お参りの方々を迎える準備です。



みるみるうちに日が暮れていき、提灯の明かりが浮かび上がってきます。



夜の納骨堂です。



ご門へ出てみると、常連のヒキガエル君がお出ましでした。



4時から台所へ来て下さった方々が、疲れをおしてお参りです。



宗祖。「愚禿が心は内は愚にして外は賢」「信順を因とし疑謗を縁として」と聞こえます。



阿弥陀仏。「あきらかに聞け阿難、今汝がために説かん」と聞こえます。





戻る

ホーム