今日の法話は、私たちの暮らす社会で次々起こる残忍な事件を例に挙げて、 今の世の中が、本願の光が届きにくくなった時代、 「末法の時代」であるという指摘から始まりました。 お釈迦様や親鸞聖人が亡くなられた後、 本願の光は時間とともにぼやけて薄れていき、 その最終段階のことを「末法の時代」というそうです。 末法の時代は、もう、救いようがないのかというと、そうではなく、 光が届きにくい今、やっと自分の愚かさに出会うご縁があり、 真宗の教えを聞くことが重要となってくるというお話でした。 つい2,3日前の門徒研修の席でも、似たような内容の話がチラッと出ました。 社会の問題を真宗の教えで解決できるかというと、そんな簡単な事でなく、 それを十分承知の上で、呼びかけられているということでした。 今の世の中はそれほどまでに荒廃しきっているのかと思うと本当に憂鬱です。 |