大晦日の除夜の鐘

12月31日

昼前から青空が広がり、除夜の鐘の時間になっても星が見えるという、
なんとも久しぶりの穏やかな天候でした。
決して雪の降る日ばかりではないことを、今さらながら肌で感じます。

7回忌を迎えた祖母の介護をしている時、
つらい介護が永久に続くのではないかという錯覚に陥ったことを思い出します。
もう晴れ晴れとした日は来ないんじゃないかと・・
そんな中で、こちらの言うことにまったく耳を貸さない認知症の祖母を、
何度たたいてやろうと思ったでしょうか。
『歎異抄』に、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
(縁にもよおされれば、どんな振る舞いでもするだろう」
という親鸞聖人の言葉が伝えられています。
また聖人は、「かしこきすがた、善人のかたちを、あらわすことなかれ、そのゆえは、内懐虚仮なればなり。」
(善人ヅラをするな。なぜならば内側はスカスカで、あるのは煩悩だけだから)
という師匠の言葉を大事にしました。
師匠の言葉が、親鸞聖人の胸に響き、
聖人の言葉がまた僕の胸に響きます。
お寺の鐘の音は、そんな響きが大事やぞ〜と語っているのかも知れません。



左が鐘楼(鐘つき堂)です。足下は凍ってバリバリ・ツルツル。



つき始めはこの方々。若い子は薄着じゃないですかね・・



ご家族そろってにぎやかでした。



正月で帰ってきました。小さい頃よく遊んでもらったお兄さん。



6年生ともなると、なかなか良い音を出してました。



お鐘をつく木(鐘木)は、境内で育ったシュロの木です。



お鐘をついたらお菓子を一つ持って帰ってもらいます。



納骨堂、本堂とお参りされてからお鐘をつきに来られます。



京都の大学から帰ってきました。



三重の大学から帰ってきました。



お参りの後は、夜の更けるのも忘れて・・




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