3月のお講さまを欠席してしまい、申し訳ありませんでした。 前半の一哉師のお話は、 「食わねば死ぬ 緊急の課題だ 食っても死ぬ 永遠の問題」という4月の言葉と、 正信偈の言葉をご縁にして進められました。 普段の暮らしのことで常に頭がいっぱいの私たちに 「気付けよ」と働きかけてくださること、それ自体が七高僧をはじめとした先人の方々から 今に受け継がれ、これから先も続いていく深いご縁なのではないかという話でした。 自分が今ここにいること、そのことがすべてご縁なのだと思うと、 何でも一人で頑張ってきたと胸を張っていたことがとてもちっぽけに感じるのと同時に、 支えられていることがとても温かく感じられました。 後半の住職のお説教は、吉崎を開かれた蓮如上人をご縁として、 「雑行雑修 自力の心をふりすてて」という言葉を引用され、 真宗の教えを分かりにくくしているのは自分自身の心だと指摘されました。 ただ念仏を唱えよと申されることに対してさえ、 心がこもっていなければいくら唱えても意味がない、 それはまさしく、未だに恥ずかしくて声に出せない私のことだなぁ…と思いながら聞いていました。 二人のお説教は違うことをいっているようで、毎回、どこか共通点があります。 深いご縁のなかで生かされていると心底思うことができれば、 念仏も唱えることができるし、理解しようと思わなくても真宗の教えに触れることができるのだと思います。 |