二ツ屋町のお講さま

12月22日 夜7時半より

武周のお隣、二ツ屋町のお講さまに、美和子と2人お参りさせていただきました。
二ツ屋町は、6戸が寄り添う集落です。
ここ殿下地区は、どの在所も急激に過疎化が進行中ですが、
二ツ屋町も、数十年前には20戸前後あったそうです。
ここ3年くらいの間にも、2戸が市街地へ出て行かれました。
お年寄りの体調が思わしくなく、市街の若い方の所へ身を寄せられたのです。

そんな中でも、お講さまは毎月必ずつとめられています。
しかも、ここの在所は、お宅のお座敷を順番に巡る形式でつとめられます。
6戸のうち3戸は高田派、3戸は仏光寺派と、おつとめの節が違うのですが、
家の当主が前に出てお調子を取り、
あとの人はその家の節に合わせて唱和します。
ですから、この在所の人は両方の節で上手におつとめをなさいます。
今日は、7時半頃からおつとめを始め、そのうちに1人、また1人と集まって来られました。
いつもそんな調子だそうです。

おつとめの後は、わーまいて(輪になって)四方山話。
昭和40年代くらいから、みんな勤めに出るようになって、
朝からお参りして御飯をよばれるというスタイルのお講さまはなくなったそうです。
それまでは、山仕事、田畑、養蚕などで生計を立てていましたが、
奥深い山村にも時代の波をかぶり、夜じゃないと人が集まらなくなったのです。
そんな話から、いやスーパーカブは誰が早かっただの、力道山はどこの家で見ただの、
昭和を懐古する「三丁目の夕日」状態。
きっと、私たち2人をもてなそうと、珍しい昔話をして下さったのでしょう。
奥さんが亡くなられた話、火葬場の話、10年後の二ツ屋集落の話など、
酸いも甘いも共にしてきた仲間ならではのシリアスな話も、なにげなく話題にのぼり、
いつの間にか夜は更けていきました。

たとえ形は消えゆくとも、そこに集う方々の精神が受け継がれていくことを願います。
自分が生きていくには、仏法に依らなくてはならないんだということが、
私はお講さまの精神だといただきました。



会議にから戻った区長さんがお見えになり、二ツ屋町全戸がそろいました。



今日の御当主、山崎栄さん。毎日お仏壇の前でおつとめをなさっています。



お講さまのおつとめ(行譜正信偈六首引き) 「帰命無量寿如来〜」 (mp3 300KB)

お講さまのおつとめ(行譜正信偈六首引き) 「解脱の光輪きわもなし〜」 (mp3 400KB)

お講さまのおつとめ(行譜正信偈六首引き) 「願以此功徳〜」 (mp3 500KB)



おつとめの後、御勧章拝読。家に伝わる300年前のお手紙を読むのです。


御勧章(第3帖)拝読 「それ極楽往生のためには至心信楽の願を因とし・・・」(mp3 700KB)



みな、頭を垂れて拝聴します。



普段は大きな家に一人暮らし。今晩は、家中に笑い声が響きます。



お仏壇の前に、ひと月に1回集まる、お講さまのお働きです。



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