2007
美和子が聞く
武周のお講さま
2月






夜7時からおつとめ  お茶  法話2席  

毎日春が来たかと思わせるような暖かな陽気が続いていたのに、
何故かこの日だけとても寒い夜でした。
本当は例年よりもずっと暖かい夜なのだと思うのですが、
すっかり暖冬に慣れてしまった私にはその暖かさを感じる事は出来ず、
翌日から熱を出してしまいました。

一哉師のお説教では如来の家に入るための唯一の方法としての『信心』を、
住職のお説教では『往生』ということについて触れられました。
お二人が共通して問題視され指摘されたのは、
私たちが「迷いの家」にいることにさえ気付いていないということだと思います。
今月のカレンダーの言葉も、大ヒットしているあの歌も、
私たちが目を閉じて聞いていることに問題があるのだと思います。
老病死を認めたくない、受け入れたくないという強い願いが
閉じたまぶたを何重にものり付けしているのかもしれません。
住職のお説教の中で、親鸞聖人が知人の臨終の知らせに対して、
「うれしいこと」とおっしゃったというエピソードを引用されましたが、
はじめは私もとても驚きましたが、お説教を続けて聞いているうちに
死に向かって歩き続ける私たちの避けられない現実と、
真宗の教えの道を共に歩まれた友の死を受け入れる強さ、
「死」そのものを命の一部ととらえるスケールの大きさを私は感じました。


護城 美和子


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