2007
美和子が聞く
武周のお講さま
4月






夜7時からおつとめ  お茶  法話2席  

一哉氏のお説教は、今月も4月のカレンダーと正信偈のお言葉をご縁にすすめられました。
「ゾウもウサギも命の重みはみな同じ」という言葉を読むと
「生き物はみな、私たち人間と同じくらい尊い」と思うかも知れないが、果たしてそうか。
お御堂中を飛び回り、ゴソゴソと這い回る「ヘクサンボ」(巨大カメムシ)も、
殺す派と殺さない派に分かれれば、殺さない派がお浄土に近いかどうか。
私たちはもともと地獄をはいずり回る人間だと言うことを前提に考えれば、
殺生をする自分、己の考えが正しいと信じる自分、
いろんな自分自身との向き合い方が違ってくると話は続きます。
お説教の最中、それまで一生懸命ヘクサンボを捕まえていた人たちが
クスクスと笑っていらっしゃいました。
そして、お説教が終わったあとも、また同じようにヘクサンボ釣りが続いたのですが、
その方たちを座って見ていた人の中から、
「自分の手は汚さないけど、私も同じやねぇ」という声が聞こえてきました。
自分の嫌な部分と向き合うということは、何とか頭で理解できるのですが、
そんな私が結局どうなるのか、今ひとつ納得できません。。
「ヘクサンボを殺してもいい」と、おっしゃっているわけではないのでしょうが、
醜いままの自分をそのまま受け入れてくださると言われると、
無理して「いい人」にならなくてもいいのかと思ってしまいます。
そう考えてしまう私は結局、真宗の教えを全く理解できていないのでしょうか。

住職の今月のお説教は、最初から最後までとても難しかったです。
でも、その中で私が惹かれた言葉は、
「他の宗派は自分が(救われる)結果に向かって歩いていかなければいけないが、
真宗はあちらの方からこちらに向かってきてくださる」というような内容でした。
1席目のお説教と響き合って、
その言葉が、傲慢に頭を持ち上げている自分ではなく、
醜い部分を知ってしまった私でも見捨てられない、ポッと明るい光のように感じました。


護城 美和子


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