2009 美和子が聞く
武周のお講さま 4月



当番 いわえもんさん

夜7時からおつとめ  お茶  法話2席  

今月のカレンダーの言葉
「答えの出そうもない問いこそ、ほんとうの問いかも知れない」と
正信偈の言葉
「五劫、これを思惟して摂受す」

生きていればあらゆる場面でいろいろな問いかけ(宿題)を頂くことがありますが、
私たちにとって一番大事な宿題ってなんでしょう?
普段あまり意識しない「いのち」に関する宿題はどうでしょう?
在家(お寺でない家)出身の私も、以前は考えることはなかったです。
しかし、最近はお寺という環境に身を置くことで、
自然と命を感じる機会が多くなりました。
亡くなられた方や、大切な人を亡くされた家族、友人、
長い年月を悲しみを抱えたまま歩き続けておられる方と接する機会も、多々あります。

今回のお説教ではガン告知以来、「いのち」と向き合い続けた
私の父が遺した手紙を味わいながら進められました。

先月4日に父は往生し、私は厳しい命の現実を目の当たりにしました。
一年前ガンの告知を受け、人生初の入院生活などを経験した父は
「自分自身にはなんの力もないことを痛感」し、
思い返せばそれまでの暮らしも「私以外の力のおかげ」だと気付き、
自分の病が、そのことを気づかせるための「警鐘」で、
「ありがたく聞き入れねばならない」と書いています。
続けて、「一歩、半歩、毎日、歩きつづけよう。
 それが、おかげに対するお礼の歩みである。」と書いています。
また、「風もなきに落ちる朽木の枝に似た」父親の臨終などを思い返して、
「必ず死ぬ人間として、死に臨む心を考えるようになった」と書いています。
「すべてを大きなものに委ねて逝きたいものである。」
「南無阿弥陀仏『すべてをお委せ申し上げます』と仏を念ずる境地は、苦もなく楽もない。
 否、苦もあり楽もある世界で生き切る生き方への願いなのであろう」という言葉の後、
手紙は書きかけのまま終わっています。

命への問いかけの答えは、自分ひとりで見つけられるものでないと、話は続きました。
父もまた、娘である私が福井にいることをご縁にして
聞法の世界に足を踏み入れ、殿下地区の空気ひたり、
多くの人と心を響きあわせながら、「いのち」と向き合っていたのだと思います。
今はまだ、無意識に父の面影を探しては涙を流す日々ですが、
こんな私の悲しみに共感して寄り添ってくださる多くの方と、
なにより「南無阿弥陀仏におまかせします」という言葉と共に
父が私に見せてくれたうしろ姿を頼りに、
今、この瞬間の一歩を踏み出したいと思っています。
父の生前お世話になった皆様に深く感謝いたします。
そして、これからも共に歩いていきましょう。


護城 美和子