2010年 美和子が聞く

武周のお講さま 3月


当番 じんしろうさん

夜7時からおつとめ  お茶  法話1席

今月のお説教は死を恐れて、生にばかり目を向けている私達の
「もろさ」についてすすめられました。
私達が普段いかに老、病、死を恐れて見ないようにして暮らしているが、
それではいけないと、住職がいろいろな例を挙げながら話して下さいました。
それではいけないんだなぁというのは、なんとなく感じましたが、
では、死と真正面から向き合ったままどうやって生きていけばいいのか、
そこら辺がやっぱり難しかったです。
そこがスーッと胸に落ちないと、
結局今の暮らしから抜け出すことは出来ないのにと思いながら聞きました。

そうは言っても、私達はいつまでも「死」を見ずに生きることは出来ません。
現実はいつでも死と隣り合わせだからです。

先日、一月にお父様を亡くされた方と話をしたときに、
「こんな悲しい事があるなんて考えたこともなかった」
と、涙ながらにおっしゃっていましたが、
私も一年前に父を亡くした時、全く同じ事を思いました。
そして、今も苦しみ続けています。
私達がこれほどまでに苦しいのは、
きっとこれまで死を見つめずに暮らしてきたからなのでしょうね。
この苦しみから逃れるために、慌ただしい日々の暮らしに浸ったり、忘れようとしたり、
さらに目を背けることで乗り越えたいと思いますが、
次々と襲いかかってくる厳しい現実の前では虚しいだけなのでしょうね。
こんな私達が本当にこの苦しみを抱えたまま生きていく道ってあるのでしょうか?