2010年 美和子が聞く

武周のお講さま 7月


当番 こどいさん

夜7時からおつとめ  お茶  法話2席

正信偈の言葉「超日月光照塵刹
 (太陽や月を超える光が、あらゆる場所、あらゆる人を照らしている)」
カレンダーの言葉「欲望で争うのは動物も同じ、人間は正邪善悪でも争う」

実は一人では生きていけない弱い存在なのに自分だけが頑張ってると思ったり、
いつでも簡単に人を傷つけてるのに全く気付かなかったり、
気付かないどころか、心の底では自分が一番正しくて偉いと思ってたり、
ほんとうに、どうしようもない私たちですが・・・

それが人間本来の姿、さらにいうと、
その事実に気付かないのが人間なんだという指摘から、
なかなか見えてこない自分の愚かさに気付いていかれた方を例に挙げて、
その人たちを通じて自分の愚かさが見えてくること、
頭が下がること、みんな同じなんだなぁと思うことについて話は進みました。

私の書き方では、きっと、愚かなのが本来の姿なら仕方ないんじゃないの?と
開き直っているように感じるかもしれませんが・・・
でも、本当に自分の愚かさに気付いたら、
人は絶対に開き直らなずに、頭が下がると思うのです。
開き直るっていうのは、やっぱり自分のことを愚かだと思ってなくて、
偉いと思っていると思います。
ややこしいですが、私自身がそうだから間違いありません。

だからといって、頭が下がった人が素晴らしいという話ではないようです。
頭が下がらないのが人間の本性だから、
自分で下げることなんて絶対に出来ないそうです。
じゃぁ、どうすればいいのでしょう?
私たちはいつもと変わらない暮らしを続けながら、
いつか、その光に照らされて、
私の頭が自然に下がるのを待っているだけでいいのでしょうか。