世話方集会 

3月21日(日)

10時より、各地の世話方さんに集まっていただきました。
来年に控える750回忌に団体参拝すること、
西雲寺主催の750回忌それに向けてのお内陣修復、台所の修繕、
それにつけても、
少しずつお同行が減少していることなどが話題に上りました。
誰だって明日の命が分からないのだから、
借金をしてでも、早めに普請に取りかかりたいという意見も出されました。

浄土へと溶け込んで行かれた先輩方がおっしゃっている気がします。
私たちの願いに、愛に、気づいてほしいと。
それを力に、暮らしてほしいと。
それ愛に気づいてくれれば、
自己満足の方向ではなく、
他のすべてを敬える本当の満足(浄土)に出会えるからと。

御遠忌にお参りしようと思い立つのも、普請をせなあかんと思うのも、
自分が起した心です。
確かに自分が起した心なんですが、
思い立ったのは、実は、たくさんの願いや愛に育てられてきたからじゃないでしょうか。
だから、自分って、あって無いようなものじゃないでしょうか。
思い立つ心って、背後の願いが形を変えて現れたものじゃないでしょうか。
お集まり下さった世話方のみなさん、お一人お一人それぞれに、
長い長い愛を受けてこられていて、
お参りしよう、普請をせなあかん、そう表現して下さっているのでしょう。
そう思うと、浄土は今も私に働いて下さっている、
そう嬉しく感じられるのです。
 (普段は忘れてますけどね〜)