2011年 美和子が聞く

武周のお講さま 6月


当番 こみなみさん

午後7時半からおつとめ  お茶  法話1席

今回は、浄土真宗の教えの中でも、とても有名な
「悪人正機」についての話でした。

「悪人」といっても今とは随分と意味が違うという前置きがありましたが、
この言葉にひっかかって、この教えを受けとめられない人、
何をしても許されると自分勝手な解釈をしてしまう人がいるそうです。

浄土真宗で言う「悪人」とは「悪いことをした人」ではなく、
「自分のおぞい(悪い)部分に気付いた人」のことです。

逆に「善人」とは「良いことをした人」ではなく、
「自分がいい人だと思っている人」のことです。

善人は常に自分以外の人と比べて自分が「良い」、
言い換えれば上の立場で物事を見てしまうので、
まわりが悪いと感じてしまいます。
それではいつまでたっても仏の光がみえない。

自分のおぞい(悪い)部分に気付いて、
謙虚な気持ちで物事を見つめると、
そんな自分に対して、まわりがとてもあたたかく、
まるで如来の光に包まれているように感じる、
これが「悪人正機」だそうです。

私も含めて人は誰でも、結局、自分が大好きで、
自分を守ろうとする本能がありますから、
こんなに大切な私の「おぞい(悪い)部分」に気付くなんて耐えられないし、
それを受け入れて頭が下がる状態なんて、有り得ないと思います。
しかし、気付かないふりをしていますが、現実の暮らしの中では
すぐ腹を立てたり、周りをねたましく思ったり、絶対に自分が正しいと言い張ったり、
私はやっぱり「おぞい(わるい)」人間ですし、
世の中は全く自分の思い通りにならない、悶々とした毎日です。

こんな自分と本気で向き合う勇気は私一人の力では絶対に起こりませんが、
お説教の席では不思議と素直に受けとめることができます。
それはほんの一瞬のことですが、傲慢な自分の心に時々投じられる一石はとても重要です。
そこには私の他にも同じように自分と向き合っている人が沢山いらっしゃるので
とても心強いです。
ひとりでは何もできない人間の弱さを、ちゃんとお見通しだったから、
先人の方たちは昔からずっと聞法を大切にしているのだと思います。

もうすぐ、永代経がつとまります。
一回一回のご縁を大切に、喜んで受け取りたいと思います。