美和子が聞く
武周のお講さま
9月




夜7時からおつとめ  お茶  法話2席(そのうち一哉の法話原稿)  


私たちにとっての親鸞聖人のような存在をよき師、善知識というそうです。
今月のお説教はお二方ともこの善知識という言葉に着目して進められました。

もう、ずいぶん前にお亡くなりになった方だそうですが、
飼っていた牛を善知識だと仰がれた源左という方の話を例に挙げながら、
一哉氏は今月の言葉を皆でもう一度味わいました。
ヘクサンボやオロロに代表されるように私たちにとっての虫なんて、
いなくて幸いと思ってしまうような存在ですよね。
その小さな虫の視点で語られた今月の言葉は、私の耳にも痛かったです。
でもお説教の席ではよく分からなかったのですが、
後から原稿を読んでみると、
その痛みも実はちょっとニュアンスが違っていたようです。
価値観の違いとか上下関係とかの細かい話ではなく、
そんな色眼鏡で物事を見ていることを言っていたようですね。
私の視野が狭いのは、自力の心に縛られているからなのでしょうね、きっと。

親鸞聖人の師、法然上人のお言葉をあげて、
住職は真宗の教えについてもう一度確認をされました。
「ただ念仏して」・・・本当にこれだけなんだ、と。
なぜこのことはこれほど大変なのか、
私にも全く分かりませんが、私も
「ただ念仏」出来ていないことは確かです。

来月はいよいよ報恩講がつとまります。
西雲寺をはじめ浄土真宗のお寺にとっては一番大切な行事です。
私たちの善知識さま、親鸞聖人を報恩講の席で、
もう一度一緒に身近に感じてみましょう。
皆さんのお参りを心からお待ちしています。
また、いろいろな方のお力添えをいただくことと思いますが、
私たちの報恩講のため、どうぞ、よろしくお願いいたします。



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